藤田洋三

藤田さんは、ライフワークとして「鏝絵」「土壁」「石灰窯」「藁塚」などの撮影と取材をつづけ、無名の人々の生業から生まれた「世間遺産」を記録し続けてきました。その膨大な記録の根源にあるのは、10代の頃の旅にありました。
1960年代末の大学紛争の時代、入学した「東京綜合写真専門学校」がバリケード封鎖により、一旦閉鎖状況に追い込まれ、学校に通うことができなくなった藤田さんは、学校のあった神奈川県日吉から大分まで歩いて帰ります。その旅で見た、無名の職人がつくりあげた見事な仕事がライフワークとなる「世間遺産」へとつながっていきます。
http://www.asahi-artfes.net/news/2010/04/aafcafe-vol4.html